『明治天皇と日露大戦争』1957年
これも親爺に連れられて観た映画の一つとして記憶されている。
映画館は満杯。通路まであふれかえっている。ドアは開けっ放しの状態。当時は入れ替え制なんてものはない。
親爺は子供が踏み潰されないように、肩車をしていた。
わたしは親爺の頭越しに、203高地の激戦のスペクタクルを懸命に観たのだ。
高台の塹壕から機関銃で攻撃してくるロシア兵。おびただしい犠牲をはらって、奪還された要塞にひるがえる日章旗。
観客から嵐のように起こる「バンザイ」の怒号。
映画は戦争であり、戦争は映画である。
後で知識となったこのテーゼを、わたしは子供の頃にまるごと体感していたのだった。
むしろ、視線は、「日本軍バンザイ」を高唱する観客の大人たちに向いていたのかもしれない。
そこにあった最も深い感情は、まぎれもない恐怖だった。
以来、どんな戦争映画に接しても、これ以上の恐怖につかれることのない、原初的な感情だった。
その他、軍神広瀬中佐の戦死シーンとか、乃木大将の日の丸弁当(ドカベンの中央に梅干し一個)とか、よく憶えている。
この作品も、公開日を調べてみると、57年の「天長節」になっている。親爺は、すでに、廃人化していた。
すると、この映画を、わたしは、だれと観たのだろうか。
わたしを肩車してくれたのは、だれだったのか。
そして、映画館という戦場において、わたしを脅かした恐怖――あれは何だったのか。